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宙旅yuko日記

宙旅yuko日記

 「宙旅yuko日記」は、日々の出来事や感動との出会いを、ここに記憶するために用意した。2022年6月の記録

ギャラリー


友達がパズルが好きだと言っていた。
200ピースのパズルなら、200回分の達成感があり、さらにすべてが完成した達成感が得られる。
日々の生活の中で、これだけの達成感が得られることは少ないと。なるほどと納得した。
私は、ここに書くことで、言葉が自分の中にすとんと落ちてくるようで、それはある種の達成感といえるのかもしれない。

2022年6月1日(水)
  水の面を去る雲に乗りあめんぼう  上野章子
 古本で購入した「桜草」という句集を読むと、なぜか心が俳句の世界に引き込まれるような気がする。それほど有名な人ではないが、以前も紹介したことがある。高浜虚子の六女だ。姉には星野立子がいる。確か剪定を詠んだ句があったと思い、句集で探してみた。「極めつけの名句1000」の中にあった。
  大木の剪定の枝空を飛ぶ  上野章子
 剪定のことを書いていたので、選ぼうと思ったのだが、剪定は春の季語。で、句集から選んだのは夏の季語のあめんぼうの句。あめんぼうが大好きで、田植えの前の田に水がはった時期に一番よくみる。水面の雲に乗ってすいすいとゆくあめんぼうが、なんとも心地よさそうで好きな句だ。
写真説明

夕方は曇っていた。さて太陽は顔を出してくれるだろうかと空を眺めていたが、どうやら光だけは届けてくれた。私が夕焼けスポットにいる間だけという、嬉しい偶然だった。この後は雲に隠れてしまった。
☆もう少し下を飛んでくれたなら、光の中にその姿をとらえられるのにと思ったが、白鷺は遠くのねぐらに帰るのだろう。随分と高い空を飛んで去っていった。
☆ 散歩道に枇杷の木が1本ある。随分小さな苗木が植えられたのはいつごろだろう。今日見たら、実がたわわになっていた。これは誰の木なのだろうか。誰がこれを食べるのかなー。鳥さんかなー。大好きな枇杷の実が成長して色づいていくのを、身近にみることができるのは嬉しい。畑が身近にたくさんあった時には、大きな枇杷の木が植わっていたが、近くの畑はほとんど住宅地になってしまった。

(ここからはひとりごとのようなものだから、気が向いたらどうぞ)
 今朝は庭に植える花とりゅうの花を買いに行った。この前植えこんだ時に、ユーフォルビアのダイヤモンドフロストをもう少し植えたいと思っていたのだが、さすがに、もう植え込む時期ではなくなったのか、5株くらい残っているだけで、この前に買ったようなお得な3個セットはなくなっていた。時々梅雨でダメになってしまうのは植えこむ時期が問題なのかもしれないと気づいた。
 5月の初めに購入した苗は、今は元気に根を張って生き生きしている。地植えの夏の花は、梅雨の前に植えこんで、根をしっかり張らせておかないと、日本の気候は初夏の後で梅雨が来るとあったが、本当にその通りで、人間にもしんどいが、植物にも、この季節の激しい移り変わりと気温の変化は厳しいのだろう。
 梅雨が今年は少し遅くなるようだから、明日からは、朝ぐずぐずしていないで、早めに散歩して朝の時間は庭仕事に精を出そうと決めた。草取りとかはほぼ終わった(すぐにまたはえてきているが)ので、あと少しなのだ。庭木の剪定は、かなり元気に大きくなっているので、少し枝を刈り込んでおいて、あとは冬まで待って、庭師さんにお願いしようかなー、でも夏に少しすっきりさせたいという思いもあるが。
2022年6月2日(木)
  蝶すくひ上げて過ぎゆく若葉風  上野章子
 今日、庭の手入れをしていたら、揚羽蝶が空へと飛び立っていった。我が家の庭で生まれたのかな。アシナガバチもきて、雑草のあたりを飛び回っていたから、何か気になるものがあるのか、巣を作ったりしていないかと、そのあたりをチェックした。
 5月の初め頃、リビングのシャッターの上、天井との隙間の壁に、アシナガバチの巣を見つけて取り除いたばかりだ。うっそうと茂った庭にしておくと見過ごすから、やっぱりすっきりさせようと、椿、エゴノキ、もっこうばらの剪定をした。去年から今年にかけて、とても木々が成長している。去年もすっきりさせたなずだから、風通しがよくなって、成長したのかな。どうやら明日も、庭仕事で終わりそうだ。早起きしないと明日は日中暑くなりそう。
2022年6月3日(金) 
  十薬のここよここよと咲きはじむ 上野章子
 我が家の庭は、今まさにこんな感じ。随分と十薬は少なくなった。去年、一生懸命抜いたから。でも草は数多くあって、十薬が少なくなったと思えば、ほかの草が勢力をもって庭を占領し始める。
 少し勢力の衰えた十薬が、可憐な白い花で呼び止める。おなじ草なら十薬のほうがよかったかしら、などと思いながら、ちょっと十薬に申し訳ないような気分になる。
 始めて見ると、庭仕事はやっぱり楽しい。あれこれ考えて、花が咲いた時の庭を想像しながら、植えたり切ったりするのは心が弾む。暗くなってきた空に、今日は新月から数えて四日目の月が黄金色に輝いていた。月齢は三日月で、四日月とは言わない。その月が西の空に沈んだ。今日のこのあたりの月の入りは22時30分だ
写真説明
散歩道に紫陽花が咲き始めた。白やブルー、紫と色とりどり。真っ赤なポピーも咲いていた
2022年6月4日(土)
  涼しさを力にものを書く日かな 大木あまり
 今日は友人の「二人の作品展」を見てきた。
 時々思う。俳句を作品展として出せないかと。どんな形でならそれが可能なのだろう。目で見て字を読んで、心で受け止めてもらわなければならない。作品として印象に残ること。訴える力があること。そんな作品展ができたらいいなーと思う。俳句が入っていること。映像が入っていること。訴求する力があること。
 私の今の課題だ。自由にのびやかに、俳句が大空に羽ばたいていく、そんなイメージを持っている。いつかそんな作品展をやってみたい。
 などとおもっていたら、大木あまりさんの俳句が心に浮かんだ。
 そんな創造への扉を押し開いてくれた「二人の作品展」のはがきをもらってきたので、ここにのせておく。興味がある人は是非行ってみてほしい。6月13日まで、安城の「樹庵」というギャラリーカフェで開催している。
 コーヒーを飲みながら、作品に触れると、不思議とイマジネーションが湧いて、ことばが出てくる。
2022年6月5日(日)
 怯えながら女たちはなお子らを抱く車椅子押す戦いのさなか
                       倉知 典子
 昨日は久しぶりに同級生にあって話が弾んだ。俳句をやっているという話が出たとき、今は俳句ブームでプレバトを見ていると結構面白いと言っていた。でも短歌はブームにならないねーという話になって、短歌のほうが気持ちが入っていて好きなんだけど、と言われて、なんでだろうと考えてみた。俳句のほうが短詩型で、季語もあり、景が見えるから、心情を詠む短歌よりは解説しやすいのかもしれない、テレビ向けなのかも、というくらいのことしか思い浮かばなかった。
 俳句を始める前、短歌を詠んでいた。忘れていたその頃のことを思い出した。今日の新聞に「あなたのための短歌集」という本が紹介されていた。すごい偶然と思ったけれど、何かに導かれたのかもしれない、取り寄せてみることにした。
写真説明
夜から降り始めるとの予報が出ている雨を予測させるような、夕方の雲。この雲にはどんな題名があうだろう?
2022年6月6日(月)
  破(や)れ屋(おく)の穴より望む星はるか 
              ウラジスラバ・シモノバ
(An abandoned house.Stars are seen Through the broken roof.)(英語俳句は林啓太記者が和訳し、俳人で比較文学研究者のマブソン青眼さんが監修)(ウラジスラバ・シモノバさんは、ウクライナのハリコフに住む23歳の女性。この俳句は、英訳を戦火のウクライナから中日新聞に本人が寄せたもの。14歳で俳句のロシア語の翻訳に出会い「印象を作品に残す素晴らしい方法」と感心して、ロシア語やウクライナ語で俳句を詠んできた。2018年には第7回日露俳句コンテストのロシア語部門でJAL財団賞を受賞している。3月30日の中日新聞記事より)
 お休みしているというか、去年から投句ができないままの「ネット投句」を見ていたら、4月のところで、ウクライナ侵略の句が多く投句されていたようで、これについて、長谷川櫂さんが、スローガンにならないように、ウクライナの歴史と国民性については、シェフチェンコ詩集「コブザール」を読むようにとあった。
 シェフチェンコはどんな人なのだろうと検索してみたら、19世紀の人でウクライナの国民的詩人だと紹介されている。帝政ロシアで農奴の身から画家、詩人として認められ、その後政治犯として10年の流刑生活を強いられ、47年の生涯を終えたとある。ウクライナの精神的支柱として今も人々の心に生きる詩人でもあるようだ。
 ウクライナの歴史は、19世紀のころから今に至るまで、どんな歩みがあったのだろう?何も知らないなーと思いながら、シェフチェンコについて書かれた文章を読んだ。詩集を読んでみようと思っている。
写真説明
時々細かな雨が降っていたが、私が夕日の丘と呼んでいるところに行ったら、太陽が少しだけ顔を出した。曇り空に現れた一瞬の光。最近は太陽に愛されているのかもしれないと、ちょっと嬉しかった。

2022年6月7日(火)
 きつく巻くゆびを離せばゆっくりときみを奏でてゆくオルゴール
(お題は→自分を否定することをやめて、一歩ずつ進んでいくための短歌をお願いします) 詠み人は歌人木下龍也
 取り寄せた「あなたのための短歌集」が届いた。最初の1ページ目はこの本のもととなる「あなたのための短歌一首」について書かれている。あとがきには、この本を出版するに至った経緯が書かれている。要約しても長くなりそうなので、興味のある人は図書館で借りるか、本屋で立ち読みしてほしい。見開き2ページにお題と短歌だけ。まとまった文章はあとがきくらいだから、出版社には怒られるかもしれないが、立ち読みでも本一冊をすべて読み終えることができるだろう。
 知らないところで、色々な試みがなされているのだなーと、ただただ感心した。短歌の個人販売、その人だけの短歌を作る。短歌だからこそできた試みなのかもしれない。感情を詠む短歌は、私一人のためだけに詠まれてもいいのだ。もともと、そういうものだったのかもしれないし。
 なんとなく、自由をもらったようなすがすがしい気分になった。雨の日にでもゆっく読んでみよう。

写真説明
☆たんぼの私

☆今朝は雲一つない青空だった。遠くの山並みの方には雲があって、時間とともに、この雲がいつも上に上がってくる
2022年6月8日(水)青鷺の一歩を待てず雲崩る 目黒十一
 このところ朝はとてもさわやかだ。散歩の足も弾んで、たんぼコースを歩いている。今朝はほぼ麦刈りが終わっていた。まだ鷺のおとちゃんはみていないが、毎日会うのが雄の雉。立派なとさかがある。多分警戒音として鳴くのだろうが、そこにいたのと私がそばに寄っていくから、すぐにこそこそと隠れてしまう。歩き去ればまた、頭を出してのぞいている。かわいくて思わず、くすっと笑ってしまう。
 田植えの終わった田んぼには鷺が来ている。
 我が家の庭も、やっとコーヒーでも飲もうかと思えるくらいには片付いた。蝶や蜂が元気よく飛び回っている。
 薔薇は来年まで根気よく手を入れてあげれば、何とか再生するだろう。花が咲くまでに1年。庭づくりも根気がいる作業だ。先日見た「ターシャの森」の中で、ターシャは木が育つのに12年かかると言っていた。花も木も美しく育つのには時間がかかる。
写真説明
田んぼに群れでいたさぎの一羽。一番目立って大きかった。ほかのこたちは田んぼの中で何かを食べていたが、このこは、皆を見守るように堂々とした佇まいで立っていた。
2022年6月9日(木)
 杜若逝つたと告ぐる文やつと ゆう胡
 今日は月に一度の写心教室。いつもロケに一緒に連れて行って下さっていた方が、4月に亡くなり、突然のことで驚いたのは、つい昨日のことのような気がする。会計をしてくださっていたので、その引継ぎとあいさつを兼ねて奥さんが今日いらっしゃった。
 突然やってくる死。自分も含めて、これからはそういうことも多くなるだろう。それなりの年齢になり、ある程度の時間を生きてきた。二度と来ることのない今日という日の連続として、未来を見なければいけない年齢になった。
 今日、やっておくことは、ちゃんと今日やっておこう。そんな心構えだけは持っていよう。
 写真の出来はいまいちだった。先生はどれを選んだか?そうだ、カラスが映っていた写真だ。今日はその写真をここにのせよう。鳥が入ると写真が引き締まる。なかなか思うようにはやってきてくれないが。

写真説明
課題はしぼりがあまいこと。これをシーンに合わせて撮影できるようにならないと。それも瞬時に。カキツバタの色がもう少し濃いほうがいい。加工すればできそうな気がするが、加工しないで撮りたい。
2022年6月10日(金
 さざなみに睡蓮揺れることもなし ゆう胡
 今朝は少し早く目が覚めたので、南公園まで行ってみた。久しぶりだ。池に睡蓮が程よく広がって白い花を咲かせていた。あんなにいた鴨さんの姿が見えなかった。最近は田んぼでよくみかけるから、お引っ越しをしたのかしら。白鳥は2羽が寄り添うように丘に上がっていたが、私が橋のところで写真を写していたら、何かもらえると思ったのか1羽がすいすいと気持ちよさそうに泳いで近くに来てくれた。
 水面に映る青空と雲、白鳥と睡蓮、バックには南公園の観覧車と豊かな緑。絵にかいたような六月の朝の風景だった。朝日をうけた公園の色がなんとも気持ちよくて、今度来るときには絶対にカメラを持ってこようと、今日はスマホで撮影。
 ラジオ体操が6時半からあるようで人が集まり始めたので、私は帰ってきた。帰りの空にフェニックスの雲が浮かんでいた。散歩コースを時々変えてみると、新しい発見や感動がある。素敵な朝の始まりだった。
写真説明
☆午前6時の南公園。亀も気持ちよさそう
☆睡蓮は花も美しいが葉が面白い
☆白鳥がすべるように水面を泳いでやってきた
☆水かきの動きまでわかるくらいに近くまできてくれた白鳥。水の動きが面白い
☆空に羽ばたくフェニックス。実際のほうがもう少し迫力があった

2022年6月11日(土)
    梅雨の月雲脱ぎ捨ててなほ淡し 西谷しづ子
  雨が降る予報だったが、パラパラ程度で夕方までもった。今は少し降ってきたようだが、夕方の散歩の前に今日は書いている。
 今朝の月は、この俳句のような月だった。月がそこにあることはわかるのだが、ちゃんとはみえていない。不思議だが、欠けていることはわかる。
 今日は暮らしの学校の句会の日。俳句は、やっぱり皆であれこれ意見を出す時が一番面白い。句会では、選んだ句に対する簡単な感想は言うが、ではこの句はどうすればよくなるのか、どう推敲したら、よりよくなるのか、といったことはしない。午後からの勉強会での意見交換で、どこがなぜダメだったのかが、割とよく見えてくる。この時間がないと、詠んで終わり、選ばれて終わり、選ばれなくて終わりになる。自分の句の善し悪しの判断を自分でつけるのは、なかなかむつかしい。
 俳句・写真・ガーデニング・HP作成。今楽しんでいるのはこれくらい。あと10年を目標に、評価される何かを始めたほうがいいと言われたが、さて、何があるだろうか?と考えているだけで、とりあえず、今まで続けてきたことを、もう少し深めたい。その過程で新しいことが見えてくるといいのだが。
2022年6月12日(日)
 咲き満ちて天の簪百日紅 阿部みどり女
 百日紅は木肌がすべすべしていて、さるもすべりおちるほどだというところから「さるすべり」と読まれている。が「ひゃくじつこう」とも読む。小さな花が咲き継いでは百日咲くところからの読み方だと季語辞典に書かれていた。
 印象的な句が多く、今日は7月の兼題であるバナナの句を選ぼうと思っていたのだが、百日紅のところで手が止まってしまった。
 少し紹介してみよう。
 さるすべりしろばなちらす夢違ひ 飯島晴子
 一枝はすぐ立ち風のさるすべり  川崎展宏
 百日紅火屑の落花掃かれけり   深見けん二
 肝心のバナナの句は、例句も少なく、早めにと考えてはいるがむつかしそう。
 バナナ下げて子等に帰りし日暮かな  杉田久女
 バナナ、バナナとしばらくはじゅ文の様に唱えていると、詠めるような気がする。
2022年6月13日(月)
 
あじさゐの色をあつめて虚空とす 岡井省二
 友人が行きたいからと連れて行ってくれた田原の写真展「10人の視点の世界展」。ギャラリーでの写真展だと思って出かけたが、コーナーを活用しての写真展で、すべてポートレートだった。
 写真展よりも驚いたのは、田原市が出している「たはらごよみ」というphotobook。Vol1から3まで出ていて、3が2019年のものだから最近のものは出ているのかどうかは定かではないが、ここに掲載されている写真はすべて「#たはら暮らし」に投稿された一般ユーザーの写真から選りすぐりのものを使ったと紹介されている。
 どの写真も生き生きしていて素敵なのだ。その映像に巡り合えた奇跡を、その一瞬をとらえて、皆が撮影して投稿しているのだとわかる。多くの人の目があったからこそ実現したphotobookだとわかるけれど、スマホでこれだけの写真が撮影できるのなら、カメラで撮る必要ってあるのかしら、と考えてしまった。
 娘に聞いてみたら、今は写真加工のアプリがいっぱいあって、すぐに思い通りの加工ができて、写真も思いのままにできるそうだ。 私はインスタグラムもフェイスブックもしていない。それって、やっぱり時代についていっていないのかもと、ちょっとこれは考えてみなければいけないかしらと、ふと思った。
写真説明

☆瑞雲山本光寺のあじさい。ちょうど見ごろだった。
☆ガクアジサイ。コケの美しさにもひかれた

☆緑に癒される参道
2022年6月14日(火)
  梅雨ごもりとは探しものすることか 草間時彦
 うーん、梅雨入りした今日は、まさにそんな日だった。そのままの意味とは違って、もう少し深くて、こもっていることで、何かを探しているような、それは生きていることの何かなのだろうけれど。現実の私は、スマホを探し、買ってきてあったはずの絵ハガキを探し、と、頭がすっきりしないまま、あちこち探して、こんなところに置いたのかと、置いた時のことを思い出し、やれやれと胸をなでおろした。
 今朝は雨の中を散歩して、くちなしの花の香りに引き寄せられた。写真に撮ってみたが、うまくとれていなかった。があまりに香りがよかったので、来年は植えてみたくなった。以前は庭にもあった。すごく虫がついたことを覚えている。花もすぐに黄ばんできて美しさを失っていく花だという印象がある。
 今朝咲きしくちなしの又白きこと 星野立子
 今日は満月。でも梅雨ではその月を見ることができない。12日に鮮やかに月が出ていたので撮ってみた。少し欠けている。
写真説明
6月12日の月。満月の今日14日は雨で月は見えない。
2022年6月15日(水

   睡蓮のすき間の水に雨の文 富安風生
 「雨の文」っていいですね。「文」はあやと読む。この文は、物の面に現れる線の模様。水面の波紋などの意味の古語とある。
 そういえば、先日の写真のロケの時も、この雨の文が映したくて、シャッターを何度も押した。なんとも言えない風情があるのだ。少し雨が降っているのも、池などのロケの時は素敵なのだ。なかなか、これっといった写真は撮れなかったが、ことばでひとこと、雨の文とすると、あとはその人の持つ映像の力に任せればいいから、すごいなーと思う。降り続く雨が描く、優しく、繊細で風情豊かな雨の景が、目の前に浮かび上がってくる。
 我が家の庭には睡蓮はないが、先日朝顔の種をまいた。ボチボチと芽が出始めている。降る雨に庭の緑が気持ちよさそうで、最近は庭を眺めている時間が増えた。今年はかつらともみじが、すごく気持ちよさそうに葉を広げている。下草も優しい葉が広がってきている。今の季節の庭が結構好きだ。
2022年6月16日(木)
  梅雨清浄葉をひろげゐる樹々の上に 野澤節子
 梅雨清浄とはそのままの意味なのだろうか?
 今朝の散歩道で鷺が朝ご飯を食べていた。私がスマホを出して映していたら、不安になったのか一羽が飛び立ち、もう一羽もあわてて後を追って行ってしまった。何かを出すという行為に対して、反応するような気がする。多分身を守るためにその場を離れるのだろう。庭に黒い蝶が時々やってくるが、やっぱり私がいる間は葉や花にとまらない。用心しているのだ。
 去年、庭を頑張って整えて、梅雨を迎えて夏が過ぎたら、草がすごくて、石の間に植えこんだプラティアだけを残すことなど、とてもできなくて、草と一緒に抜いてしまった。せっかく植えたのにという苦い経験をしたから、今年は毎日30分は草取りをすることにしている。今年はプラティアは植えてないが、名も知らぬ小さなきれいな葉が地面を覆い始めているので、それを生かそうと、草を抜いている。今日は曇りで蒸し暑かったが、それでも日が出ているよりは楽なので、ついつい30分が2時間になってしまった。芽を出したばかりの草は、抜いても抜いてもなくならなくて、最後は素手が一番取りやすくて、素手で取った。これが結構楽しい。無心になって草をとっていると、不思議と心が落ち着いてくる。
写真説明
☆かつらともみじ、もっこうばらの緑が目に優しい、梅雨清浄ってこの上に広がる世界のことなのかしら

☆おーい鷺君、逃げなくても、そこまで私はいけなんだけどなー。
二羽は別々の場所で朝ご飯だったようだけれど、前の一羽が飛び立ったら、すぐにあとを追いかけて行ってしまった。
2022年6月17日(金) 
   美しき距離白鷺が蝶に見ゆ 山口誓子
 毎朝、鷺を見るようになった。白鷺が蝶に見えるというのは、相当遠いところを飛んでいるのだろう。美しい距離は、その白鷺が飛び去って行くのか、飛んでくるのか、小さく見える白鷺を詠いながら、大きな景がそこに美しく広がっているのが見えてくる。
 いつも写真の講評の時、先生が、ここにカワセミがいたらいいなーとか、ここに蝶がいたら、といっているけれど、その画像を撮ろうと思ったら、待つしかない。このあたりでは背景が美しくないから、鷺は残念ながら、いたよ!という写真にしかならない。それでも鷺を見るとついつい撮りたくなる。動きが面白いし、姿が美しい。だから今日は白鷺の写真。
写真説明

☆何やら見つけて食べている。まだ私は遠くにいるので、しばらくはこの動作をして何かを一生懸命食べていた。遠いので写真はボケている
☆私が近づいてきたことを察知したのか、食べるのをやめた
☆私は少し離れたところで立ち止まったけれど、明らかに警戒態勢に入っている
☆ここで飛び立つ決心をしたようで、次の瞬間には飛び立っていった。飛び立った写真も撮ったけれど、家があって鷺の姿は景色の中にまぎれてしまっている

2022年6月18日(土) 翡翠が掠めし水のみだれのみ 中村汀女
 友人が翡翠の写真をラインで送ってくれた。美しく飛び立つ翡翠は口に獲物をくわえている。川の水の流れがぼかしによって幻想的に映しこまれて、その川を今飛び立ったばかりの翡翠が広げた羽の美しいこと。カメラのほうを向いているかのような翡翠の黒い瞳も映っている。いつかこういう写真を撮りたいなー。
 白鷺が二羽で、巣作りのための枝をくわえている写真も送ってくれた。私ではまだまだたどり着かない映像だ。
 明日と明後日、思い立って旅をする。鳥の映像は無理でも、何とか静止している映像は撮りたいけれど。
 旅の俳句は詠めたことがないので、それも挑戦してみたい。景が美しすぎると、ほぼ私の言葉では負けてしまう。俳句を始めたばかりのころ、海外に行ったときには、あまり何も考えずに俳句を詠んでいた。あの感覚でいいのかもしれない。
 明日・明後日は、HPのコメントはお休みして、火曜日にまとめて書く予定だ。
2022年6月21日(火) 蛍火の一翔つよく月よぎる 橋本多佳子
 旅は日常から離れて心地よく、ツアーで行くとき以外は、いつもゆっくりのんびりと、あまり予定を立てずに出かける。
 コンサートに行く、とか、展覧会を見る、とか、一つだけ目的を決めて、後はおいしいものを食べて、ゆっくりとくつろぐ。
 結局、写真も撮らず、俳句も詠まず、いつもの旅行と同じで、家事から開放されて、自由気ままに時間が過ごせる楽しさを満喫した2日間だった
 ホテルで蛍を見た。蛍は6月の中旬くらいがピークなのか。曇っている日のほうがよく飛ぶと聞いたが、晴れていて、数えるほどしか飛ばなかった。でも蛍が飛ぶ闇は深く、せせらぎの音が聞こえていて、飛翔する姿は美しかった。
 もう一度、闇に点滅する数えきれないくらいの蛍を見てみたい。いつも6月には蛍を見に旅に出たいと思う。5月は、上高地の徳沢に、にりんそうを見に行きたいと思う。4月は、芦生にサンインシロガネソウを見に行きたいと思う。
 いつも思うだけでなかなか実現できない。見てみたいと思う景色は数えきれないほどあるけれど、この先、どれだけ見ることができるだろうか?闇を飛翔する蛍を見ながら、そんなことを思った。
 もうひとつ、この時思い出したことがあった。幼いころは、家の庭でも蛍を見ることができた。海から続く川があったからだろうか。蛍を籠に捕まえてきて、部屋を真っ暗にして放ったことを思い出した。すっかりそんな日のことは忘れていた。
 旅は、忘れていた時を思い出させてくれる。時が空間の中でもうひとつの時と交錯するのだろうか。記憶の扉が、音や光や匂いに反応して、開くような気がした。
 時々は旅をしよう、と決めた。
写真説明
☆6月19日はこんな夕焼けの空だった。
☆涼し気な木陰の風景。もう少しスモークがかかったようで、実際は幻想的だった。
☆偶然撮れた写真。動きが出て面白い。
☆今はどこも紫陽花がきれい。水面の緑が幻想的な世界を演出していた。
☆今まさに咲かんとする紫陽花。つぼみがかわいい。
☆この写真が好き。参道を行く親子連れの雰囲気、服の色、すべてが気に入っている。
☆この写真も好きな一枚。ガクアジサイと苔の感じがやわらかくて色合いもいい感じ。
☆フェニックスの雲もお気に入りの一枚。大空にはばたく力強さと優しさ、振り返っている感じが、好きだ。
2022年6月22日(水)
  梅雨雲のうぐひす鳴けりこゑひそか 水原秋櫻子
 夕日の丘にいくと、いつも鶯が鳴いている。鳴き始めの自信のなさそうな声から、だんだんとしっかりとリズムが取れるようになるまで。雑草や樹木が生い茂っている一角があり、人が入らないエリアなので、いつも声だけは聞こえてくるが姿を見たことはない。
 今朝の散歩は、田んぼ道。中学校の横の道を歩く間、ずーとカラスが移動しながら鳴きながらついてきた。なんでだろうと、見上げたら、カラスの巣があった。学校の校庭の隅で、木が何本かあり、見えにくい場所に巣を作っていた。一羽のカラスが私を威嚇しながら、警告をしていたようだ。巣に一羽いて、ずーと威嚇していたのが一羽。ほかにも2羽くらいが近くにいた。
 明日からはあの道は通らないでおこう。巣立つまでは、カラスは神経質になるという。最近いつも頭上で鳴いていた。今朝の鳴き方が一番激しかった。巣立ちが近いのかもしれな
2022年6月23日(木)
黒揚羽はねをやすめて何を待つ ゆう胡
 一昨日くらいから、庭に黒揚羽が飛来していた。すぐに飛び去ってしまうのだが、今日はなぜか、疲れたのか眠ってしまったのか、しばらくの間、葉に止まってまるで風に吹かれる葉のように動こうとしなかった。最初に写真を撮りに出て、何枚か写しているあいだも、逃げようとはしなくて。どうだろうか2時間以上は休んでいた。 まだいると思って、今度は大胆に近づいて写真を写したら、びっくりして目が覚めたのか、ふわりと飛び立った。休んでいたのなら悪いことをしてしまった。また来てくれるといいけれど。
 ふと上を見上げたら、エゴノキに実がついていた。この実には毒性があるらしい。下草のところに落ちていつも気づかずにいる。ストロベリーツリーも大きくなって実がついている。一度食べてみたが、これはおいしくなかった。花がかわいいからいいけれど、実はあまり美しくもないし、ジャムにするほどはならない。花木にもそれぞれに個性があって、見ていると楽しい。

写真説明
☆こんな感じで風に吹かれて、まるで絵の様に動かなかった

☆一度場所を変えてまた停止。アップを写そうと近づいたら、さすがに気配に気づいて、すぐに飛び立ってしまった
2022年6月24日(金) その光蛍か星か山深し ゆう胡
 昨日の夜、岡崎の鳥川ホタルの里に蛍を見に行った。時期的には少し遅いかと思ったけれど、上流で幻想的に飛翔する蛍を見ることができた。案内の人が、今は「イヌハサ地域」で飛ぶと教えてくれた。まだ少し明るいときにたどり着いたけれど、点滅している蛍がちらほらいた。
 7時半を過ぎて暗くなってくると、蛍は飛び始めた。木の葉の茂る奥の闇や、高いところの木の間にも舞う蛍を見ることができた。8時を過ぎたころから、川の近くや、立っている私たちのすぐ近くでも飛翔する蛍を見ることができ、広い闇を飛び交う幻想的な瞬間を何度も見ることができた。
 鳥川ホタルの里のHPには飛翔した蛍の数の報告があり、お天気は曇り、見ていたところでは350とある。ある時間になると一斉に蛍は舞い始める。昨日は曇りだったけれど、星空がきれいに見え始めたころから、蛍の数は減っていった。それなりに来ている人はいたけれど。多すぎることもなく、ゆったりと蛍の飛ぶ様子を見ることができ、幸せなひと時を過ごすことができた。友人に感謝だ。
 山深いところだけに星空もとてもきれいだった。残念だが、写真は今一つだったが、心に映像を残すことができた様に思う。

写真説明
☆ホタルが舞い始める前の夕暮れてゆく空がまた神秘的で、その色合いに見とれてしまった。
☆光が二つほど見えているのが、ホタルだ。
2022年6月25日(土) 幽玄無限闇を自在に飛ぶ蛍 ゆう胡
 遠くで雷が鳴っている。夕立があったが、少しは涼しくなっただろうか?6月とは思えない暑さで、さすがに身体がついていかない。
 先日の旅行に電車の中で読む本を探しに、久しぶりに近所の本屋に行った。結構いろいろな本が置いてあって楽しかった。ボストン・テランという人の「その犬の歩むところ」という本を買い、昨日読み終えた。
 この作者は覆面作家で、本名も生年も公表されていないそうだ。登場人物であり、主人公ともいえるディーン・ヒコックという、元アメリカ海兵隊員で、イラクから帰還した24歳の若者が語る物語になっている。戦争で傷つき、死んでいった親しい仲間を忘れられないでいるディーン。9.11でただ一人の身内だった姉をなくし、志願して海兵隊員になる。彼が出会うギヴという名を持つ犬は、様々な体験をして傷つき、それでも生きることを諦めない強さをもって、彼に助けられる。そんな人と犬の物語ではあるけれど、平気で人と傷つけ、殺してしまう若者がいれば、猫を救うために命を落とす若い女性も。優しくてあたたかい善良な人々と、暴力的で非道な人々が、この物語には登場してくる。
 その人々のかかわりをギヴという犬を通して描かれるこの物語は、最後に人の優しさと勇気をさりげなく目の前においてくれる。心に光をともしてくれるような物語だった。ゆっくりともう一度読んでみたいと思わせる物語だった。本屋に行くと、書評だけでは巡り合えない、いい本に巡り合える時がある。この一冊もそんな、宝物のような本になった。

2022年6月26日(日) 夕立去り庭に雨の香残りをり ゆう胡
 昨日、今日と夕立があった。まだ6月だから、夕立とは言わなくて梅雨の雨なのだろうが、雷が鳴って雨がざーとふってさっと止む。ここ何年か、ゲリラ豪雨は経験している。夕立のようなふり方がなくなったと思っていたのだが、
 今年は6月に夕立?
 梅雨の雨はどこに行ったのだろう?
 7月になったら、どんな雨が降るのかしら?
 少しづつ、季節の感覚が変わっているような気がしている。
☆これは紫陽花の一種なのだろうか?調べてみたがよくわからなかった。花も葉も紫陽花に似ているけれど、ちょっと違うような気もする。
☆これが開き始めたところで、上の写真の一番下がつぼみだ。
2022年6月27日(月)早すぎる梅雨あけ星を見上げてる ゆう胡
 梅雨明けしたと聞いた。こんなに早く梅雨明けしたことがあっただろうか?まだ6月だ。大丈夫だろうか?と心配になる。
 梅雨の雨はしとしととまっすぐに降るイメージがある。そんな梅雨の雨をほとんど見ることもなく、照り付ける太陽の季節が来てしまったのだろうか?
 庭の草取りも急がないと。今朝抜いていたら、大きく育ったものがかなりあって、手ですんなりとは抜けなかった。梅雨時は土が柔らかいので、草取りも楽しいのだが、夏の乾燥した大地の草取りは苦手だ。
 梅雨が明けたのなら、エアコンやお風呂などの掃除もそろそろ始めないと。予定がかなり前倒しになりそうで、梅雨をのんびり読書でもと思っていたのが、そうはいかないようだ。久しぶりに夏の予定表を作ろうかという気になっている。
2022年6月28日(火)夏空へ雲のらくがき奔放に 富安風生
 私にしては珍しく、綿密な計画を立てた。行く場所はもちろんだが、かかる時間、順序、予約が必要な場合には確認して予約。ほぼ一日かけて、最初の予定とは大幅に変更しての計画が流れた。
 やっぱり普段しないことはやらないほうがいいということなのだろう。誰かがびっくりしたのかもしれない。ただ、段々と年齢を重ねていくと、きちんと計画を立てて体力と相談しながらでかけなくてはいけない、ということを強く思うようになった。無理ができないし、疲れが残るのも困る。
 出かける日でも朝の散歩は欠かさないので、空いた時間はやり始めたHPの勉強に充てた。
2022年6月28日(火
夏空へ雲のらくがき奔放に 富安風生
 「夏」はアルタイ語で「若い」「新鮮な」を意味するという。
今朝の空は、まだ夏空とまではいかないけれど、雲に不思議な厚さがあって、まるで、空に真っ白な油絵の具を塗ったような感じだった。その不思議な雲は私が畑についたころには、普通の雲に代わっていた。
 夏の散歩は色々な雲を楽しむことができる。夏の空は大きくて広くてどこまでも続いているような開放感があって、どこまでも青い。これからの日々は、暑さが厳しそうだが、空を見あげるとちょっと元気がもらえそうだ。
  たましひのかくれきれずに雲の峰  小出治重

2022年6月29日(水)よき声に水ふるはせて牛蛙 長谷川櫂
 まだ蝉の鳴き声は聞こえてこない。猛暑といえる暑さでも、地の中はまだ6月。まだ早いと地上には出てこないようだ。虫の声に耳を澄ませながら、季節を感じ取れればと思っている。
 先日読み終えた「その犬の歩むところ」の作者ボストン・テランの作品を古本で2冊購入した。文春文庫だけでも、5・6冊は出ていた。そのなかの「神は銃弾」が、1作目の長編でアメリカ探偵作家クラブ最優秀新人賞にノミネート、英国推理作家協会最優秀新人賞受賞、日本では「このミステリーがすごい」第1位、日本冒険小説協会大賞受賞と数々の賞を受賞している。
 もう1冊は「音もなく少女は」で、これは4作品目になる。
 最後まで読めるかな。最近は途中で読むのをやめてそのままになっている本も結構ある。作品に入り込めないままで読むことを放棄してしまう。
 集中力がなくなったのかと心配になって、今まで読んでとても好きだった本を読み始めると、何度読んでいても、また物語の世界に入り込めるから、文体や物語が自分に合わなかったのだろうとわかる。テランの作品はどうだろうか?この本で、異常な暑さの夏を乗り切ることができるだろうか?楽しみだ。
2022年6月30日(木)
   ところどころ風吹いてゐる青田かな   山口いさを
 テレビは、連日の猛暑と電力不足、節電を訴えている。私の場合、自分の部屋のエアコンは、夕方までは入れない。夕方このHPの更新をするときにエアコンをつけて部屋を少し冷ましておいて、夜になったら、またつける。夜も寝入るまではつけておくが、明け方には一度消す。室温はどうだろう、朝は25度くらいまでにはなっているだろうか?
 朝の散歩の時間を早くしているから、出かける時には少し風があってしのぎやすい。帰ってくる6時半頃はかなり暑い。
 今日は珍しく、雉が2羽で、割と近い場所でご飯を探していた。散歩エリアには4羽の雉がいる。近づくとこそこそと遠ざかる。本当に、こそこそといった表現がぴったりの動きをする。その姿を見るとなぜか楽しい。
 それにしても、今年は鷺を見ない。おとちゃんもこないし、どこにいるのかしら。買い物に行く田んぼであおさぎをみる。しろさぎもよく見るが、去年は毎日のようにいたおとちゃんは、まだこのエリアにはきていないのだろうか?

写真説明
☆向こうのほうに黒い点の様に二羽の雉がいる。それぞれにエサを探していたのだが
☆私の姿を確認したら、道路から離れていった。首をひっこめたって、ここは隠れる場所がないから見えているのに、首をひっこめて歩く姿が笑える


profile

ゆう胡(俳号)
(掲載写真はすべてゆう胡撮影)

誕生月  弥生


愛知県

愛犬のシェットランドシープドッグ
(10才雄→2022年3月)逝く

朝夕の散歩を日課にして、一日最低8000歩を歩くようにしている。