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光の章

光の章

光があるから色々なものを見ることができる。その輝きも、またその闇の暗さ、影の存在もより鮮やかになる。空をみても海を見ても花を見ても風を感じても、光の存在をいつもどこかで感じているように思う。
右の写真はプラハのカレル橋を撮影したもの。早朝のまさに日が昇ろうとする時の風景だ。石の橋でヴルタヴァ川に架っている。欄干にはいくつもの聖人象。2006年始めてのヨーロッパ旅行はドイツでその帰りに寄った。

ギャラリー

光の中に

 カレル橋の朝の光景は今でも鮮やかに思い出すことができる。もう15年くらいたつ。ちょうど俳句を暮らしの学校で始めようと思ったその年の6月くらいに行った。仕事と旅行で4月からの講座だったのに、出席できたのは7月からだった。始めての句会にドイツの旅行の句を出したことを覚えている。ドイツ旅行はツアーで行ったが8日間ツアー+3日間を自由旅行にして、プラハ、ウイーンを回った。メルク修道院やドナウ川クルーズなど、2人の気ままな女旅はやっぱりちょっと危険でもあり、行く先々で変な人たちに声をかけられた。女の人なのだが、とても怪しかった。色々と不思議な経験をしたが、何とか無事に帰ってきた。パスポートもお金も盗られなかったし被害には会わなかったけれど、未だに声をかけてきた2人の女性は、怪しかったのか怪しくなかったのか、謎のままだ。

彩雲

冬の風の強い日の散歩は彩雲を見る楽しみができた。いっつも散歩しながら太陽を見上げていてりゅうに嫌がられた。彩雲は一瞬で現れたり消えたりする。その一瞬をとらえたくて空を見上げることが多くなった。雲の彩、変化も1時間30分の散歩の時間で楽しむことができ、自然の豊かさ、厳しさを五感で感じられる。外に出て歩く、ただそれだけのことだが、この地はまだまだ豊かな自然の息遣いが残っている。蠟梅、梅、桜、椿と、季節を彩る花もそこここで見ることができる。いつも行く神社に去年は枝垂桜が植えられたが、今年は紫陽花や榊、つつじなど15本くらいが植えられていた。さくらんぼが成る木もあって一つ二つ頂くのを楽しみにしている。

光と影

冬の太陽は長ーい影を作る。道に、りゅうと私の影が伸びて面白いシルエットを作り出す。時々景踏みをしたり、影を追いかけたりと、りゅうとの遊びが楽しい。この散歩道がりゅうはお気に入りで、田んぼの畔にはタンポポやナズナ、おおいぬのふぐりなど可愛らしい草花が咲く。田んぼには麦と米が植えられる。畑もたくさんあって、大根や白菜、イチゴの苗などもたくさん植えられている。それぞれに皆が工夫して色々作物を作っている、それを見ながら歩くのは楽しい。成長するもの、実がなるものは、毎日見ていても見飽きることがない。最近はあまり見かけなくなったレンゲの花も咲いている。レンゲ畑とまではいかないのは残念。子どもの頃レンゲ畑で首飾りを編んだことが懐かしい。そんなことをしている子を見かけなくなった。
下の写真は岐阜県恵那市の岩村城跡に登っていく途中の写真だ。山城で石垣が連なって美しく、お天気次第で霧もよく出るとのこと。この日は晴れて樹木の間を縫ってこぼれる陽射しとそれによって生まれる影が美しかった。

日の出

雲海からの日の出は、荘厳で心が引き締まる感じがする。上の写真は九州の高千穂、国見ヶ丘からの雲海と昇ってくる朝日だ。高千穂は天孫降臨の地だと言われているだけあって、確かにそんな厳粛な雰囲気をたたえた町だった。町を歩いているだけでも、なんとなくパワーを感じたが、国見ケ丘の雲海は神秘的で東洋的。墨絵の世界に入り込んだような感動があり、更に力強い。いつかまたゆっくり行ってみたい。
下の写真は2021年の日の出だ。雲が出ていて日の出が危ぶまれたが、雲の間から見事な日の出を眺めることができた。
その下は、日の出を待っている間に月を写したもの。日の出の前に幽玄な月が西の空に浮かんでいた。
太陽と月が、それぞれの輝きを存分に発揮した1月1日の朝だった。

光の章の句(12月から2月)ゆう胡吟お知ら

2021年12月 ~2022年2月
残り火のごとく落ち葉の色赤し
白鳥や纏ふは光奏るは風
冬桜空の色さへ透かしをり
冬木の芽見つめて黙る二人かな
三日月を空に残していざ初日
君の目に雪の映るは希望かな
雪道や踏みしめる歩は道となり
雪道の一歩に迷ふ我が俳句
軒下のやさいくだもの冬構
愛問ふて寂聴九十九の冬
冬ひとり露店の朝の流星群
峠越へ雪に揺らぎし町灯り
2020年12月 ~2021年2月
梅の花高きにひらくただ一輪
遅れ来る君の足音帰り花
寒見舞手書きの文字の人となり
雪だるま三つ並んだボンネット
立ち漕ぎの少女は冬に挑みゆく
佇みて明けの色待つ四方の春
初日見に犬を起こすも大あくび
初鶏や園庭超ゆる鬨の声
搗き立てのあんころ餅や小晦日
冬木立倫敦に馬車見送りて
渡る雲冬空画布のごとくして
裸木の連なり我はひとりなり
寒稽古「ネットに礼」の声響く
槙垣の実の熟したる寒さかな
薪足して言葉少なく冬籠り
ひそやかに枯葉積もりぬ神の域
張り替へて影もつやめく白障子
2019年12月~2020年2月
蓮の骨折れて孤独の和らげり
頭垂れ坐して祈りの枯蓮
蓮の骨ピカソ落書きしたるごと
巌を越へざんぶと波の藪椿
手づくりの暦新し書斎かな
逆光の家康像や四方の春
鐘は空我は地にゐる去年今年
初春や篠笛の音の何処より
薄氷に緋色の影のよぎりけり
蠟梅を探して迷ひ込みしかな
空低く時雨るる朝を母逝きし
大寒や声透き通る彼方まで
太陽を呑み込む龍や冬の雲
空低くして薄紅の枝垂梅
立春の息深くする天地かな
恋の句が多き真砂女や初便
2018年12月~2019年2月
立冬の朝に一羽の飛び立てり
冬菜摘む面影寄り添ふ母と摘む
羽衣を借りて野山に冬がすみ
歌留多取る手の如くなり流れ星
似合うねと友の帽子に冬日さす
海鳥の空は果てなし初明り
雪の朝道に靴跡あるばかり
初日の出父にせがみし肩車
門付の下駄音軽く今朝の春
昔日に別れ告ぐるや初明り
大地目覚むる音に抱かれ落椿
風光る我ふたたびの初恋を
墨の香の便り送らん春浅し
2017年12月~2018年2月
通せんぼ抜けてふくらむ冬将軍
香り立つごはん竈に冬の朝
冬景色池を鏡に装ひし
前向きていかに生きるか年はじめ
湯気揺れる茶室の春はまだ浅し
大皿に活けていのちの落椿
また一輪風と出逢ふは白き梅
2016年12月~2017年2月           
花を買ふ冬めく空に負けぬ色
枯葉にも我あるごとく動かざり
味噌樽に染み込む色香冬茜
荒星の大地に夢の幾百万
訪いに戸口より入る余寒あり
古き家を訪ね魚氷に上る空
2015年12月~2016年2月
除夜の鐘心残りの響きあり
人知れず咲きて散り行く枇杷の花
手帖には余白もありて年惜しむ
いくつもの笑顔に会ひし去年今年
初便りゆるり着こなし眺めをり
屠蘇の香に広がる夢のふたつみつ
春昼に読みこぼしたる言葉あり
薄氷掴めば消える夢のごと
薄氷水の静けさ際立てり
散ることを嫌ひて落ちる白椿
道問へば門に椿の咲くと言ふ
ほの暗き道照らしをり白椿
2014年12月~2015年2月
雪吊の果ては天地を貫きぬ
薪足して言葉うまれし冬籠
雪吊の弾けぬ空の青さかな
雪吊の空粛々と青きまま
窓開けて流星捉える冬の夜
首傾ぐ侘助に陽のやはらかし
手づくりの句集いつしか年明くる
早春や仔犬も人も伸びをして
春雨や蛇の目さす背に恋をして
2013年12月~2014年2月
母の声聞こえぬふりの火鉢番
古暦めくれば過ぎし風が吹く
さりとても捨て去りがたし古暦
枯野にもひとすじ光る流れあり
初御空十字に切りし飛行雲
鉄瓶の音ふくらめり冬座敷
虚空飛ぶ鷹見つめゐる吾もひとり
土雛の顔可笑しくて友とせし
千の色秘めて春めく美濃の山
2013年2月~2008年
冬小道訪ねる先の窓明り
冬ざれや大地は鼓動宿しをり
切り干しの煮えたる頃に子ら帰る
木枯らしや僧一心に祈りをり
まっさらの春よ道草せずに来い
抜きたての葱たずさえて友来る
子らはみな育ちて枝に風車
馥郁と紅梅白梅こんぴらさん
鶯の声に押されて山下りる
海に来て水仙の花の小ささよ
やぶつばきざんぶと波の音を聞く
めじろ来て春の陽射しを集めたり
こんぴらの若冲と雪景色かな

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ゆう胡