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花の章

花の章

豊橋にあるのんほいパークの入り口で、シジミチョウが
のんびりと花と遊んでいた。しばらくジーとしていてくれ
たので、
なんとか写真におさめることができた。花は菊
だろうか?
シジミチョウはちょうだから春の季語、菊は秋の季語
秋蝶をそっとつつみし光かな  ゆう胡

ギャラリー

芽吹き

 以前足しげく通っていた京都美山の奥に息づく、芦生原生林で出会った芽吹き。芽吹きのこの季節が一番好きだ。
 下の写真のやまえんごさくは、そんな早春の森に咲く花で、春の妖精とも言われている。なんとも不思議な形をしていて、とても可愛らしい。また出会うときがあるだろうか?
小さくて可愛らしい花が、森には色々咲いている。きれいな映像がないのが残念だが、さんいんしろがねそうもそのひとつで、小さな小さな花なのだが、この花が観たくて出かけていく時もあった。
 いわうちわ、いわかがみ、えんれいそう、きんぽうげ、しょうじょうばかま、春蘭にも出会ったことがある。ちごゆり、一輪そう、二輪そう、春の森は小さな花が迎えてくれる最高の季節だ。いつかまた出かけていきたいと切に思う。2021年は行けるだろうか?

咲きて今

さくらは美しい。いつもはその存在すら気づかないくらいにひっそりとしているのに、春の訪れとともに、世界の色を変えるくらいにやさしく力強く咲き誇る。桜が咲く日本はやっぱり美しいと、いつもつくづく思う。
上の写真は八重の桜だろうか、花びらの可愛さがひときわだが、うつむいているので写真がとても映しにくかった。
下の写真は上地八幡宮の右近桜と染井吉野の競演。右近桜はやわらかなクリーム色から桜色に変化していく。その色合いが優しく、長い期間楽しむことができる。右近は鬱金とも書くらしいが、右近桜と左近桜があるようだから、どの字が正確なのかはわからない。色からすれば鬱金なのかもしれないなー。

薔薇

薔薇は手をかけて育てただけ、花も美しく咲いてくれる。どんな花でも変わりはないが、薔薇は特に手のかかる花の一つだろう。見るとついついほしくなって、いつか庭に15本以上の薔薇が咲くようになった。丹精込めて育てた時は花も美しく咲いてくれるが、春先に少し手を抜いていると花付きが悪く、葉の色も精彩を欠いてしまう。
上の写真は我が家で咲いた薔薇でピエールドゥロンサールといって、花付きがよく、比較的手入れも楽で有名な薔薇の一種だ。見事に咲かせている家も多く、我が家ではまだまだだが、パーゴラにうまく這わせることができるようになれば、これからの成長が楽しみ。下の薔薇はかわいいハート形に仕立ててある。北海道での写真だが、これはプロの技だと思う。

花を撮る

花を撮影する時、全体の姿を映そうとしてしまうが、私が教わっている写真の先生は花の色や形を最大限に引き出す映し方を教えてくれる。
上の写真は、自分では思いつかない撮り方だ。花の色合いの美しさが見事に出ていて、いい写真になったと思う。
下の写真はデンパークで撮った写真だ。花を組み合わせてクリスマスバージョンだろうか、美しく華やかな演出がしてある。たぶんもっとアップで撮影したほうが花の魅力を引き出せるのだろうが、ついつい全体を撮ろうとしてしまう。

花の章の句(3月から5月)ゆう胡吟お知ら

2021年
見上ぐれば空の青さに梅白く
光背にばばの摘み取る春菜かな
明け初めし社に真つ赤な落椿
雛祭る襖の向かう黄泉の国

ゆつくりと雛あらはるる行李より
ゆらゆらと海揺れてゐる芽吹かな
春の虹空押し上ぐるなないろよ
鬼ごつこ鬼に隠るる春の闇
「もういいよ」鬼に隠れて春の闇
チューリップほどけて空の広さかな
少年の毬蹴る少女春野かな
観音堂探して迷ふ山桜
色淡き明けの光の初桜
小さき花かぜまちぐさは恋に似て

春雷に雨砕かれて屋根を打ち
小さき庭蝶はここより生まれ出づ
花びらの奥へ奥へと薔薇ひらく
雨と来る薔薇の薫りの肌を刺す
猫柳尾からつぼみの弾けゆく
鍬入れて地を耕せる般若面
ミモザ咲く草原駆けるキリンの仔
ミモザミモザ草原駆けるキリンのこ
彼岸桜まだ今生の色はなく
そら豆や大き宇宙に豆みつつ
手を入れて庭の草木の梅雨入かな
2020年
溢れくる声とどめたる木の芽かな
土起きよ種蒔く時の来てをりぬ
雛の部屋風に開きし絵本かな
濃紅の木瓜訪ね来る人もなく
桃の花負けず嫌いの姉妹
初蝶や風の穂先をつかまへて
天上で待つと告げ来る春の雪
春の雪待てど届かぬ便りあり
スケッチの色に迷ふも弥生かな
桜咲き朝日静かに昇り来ぬ
荒田横切って消えたる初燕
子を守るけりの叫びの千里まで
指合はせ掬ふ愁ひや朧月
天上の星や地上の花筏
掌のひらをかすめ花びら深き闇
しゃぼん玉吹けば飛び散る愁ひかな
会ふことの叶わぬと知る春北斗
右近桜やさしさの色染めあげて
語りたき言葉はあれど母の日や
雨蛙何を告げんと今日も鳴く
若鮎や釣りびとの目に翻る
若鮎や水のふところ蹴り上げて
2019年
片割れを恋ふるや貝の春淡し
鶯の初音句会に間もよきて
眼差しの光りて魚の水ぬるむ
けふもまた鶴折る老婆水温む
少女待つミモザは三分咲きなれど
お遍路の歩幅小さき杖の音
花衣ほどいてつくる小銭入れ
海の風受くる社の桜守
絵馬鳴るや桜散りくる我が胸へ
二胡の音の翔けゆく桜吹雪かな
天上の青動かざり白木蓮
菜の花の海に老犬動かざり
泥ぬるき浜の浅利の息づかひ
蒼天の風のひとひらいぬふぐり
田水張る深きに見えぬもの映し
たけのこの我も我もと山の中
迷宮の闇にふはりとしじみちょう
覚えたてブルームーンと薔薇指して
天上の青動かざり白木蓮 
葉でけろつ花でけろつけろつ蛙かくれんぼ
ゆるぎなき天地くるりとつばくらめ
滝あるを知るや風来る森の道
緋色なる牡丹一輪奥座敷
2018年
あの空もあの海も超え雁帰る
羅針盤求め雁飛ぶ北の空
たんぽぽや荒れ野に灯る星のごと
萩焼を好みし人や朧月
作り手が見えし器や土恋し
土恋し魔法かけたる小さき庭
藍薄き甕に投げいる初桜
風光る一輪挿しを手土産に
春の水掬ひて揺れる空の色
蒼天を仰ぐ芽吹きの小さきとも
せかされているよと薔薇の芽吹きをり
晴れ晴れと浅利潮吹く歌うよに
酢味噌和え肴に愚痴聞く春の宵
大空の蒼きを喰らふ春霞
塩の道旅人の背に五月雨
黒蝶の影に消えゆく陽射しかな
里山を小さく揺らす田植え唄
一陣の風にたかんな現るる
2017年
欠け土瓶野梅一枝納まりぬ
春の虹迷ひて空の色となり
春の虹人それぞれにドラマあり
青空を闇に溶かして涅槃雪
参道に先づは白梅咲きにけり
校舎より流るるワルツ春の宵
せせらぎに魚の背消ゆる春の水
柿若葉屋根をかすめてなほ高く
椅子の背に春のコートの優しかり
ほほづえが似合ひし椅子や春の園
花舞ひて椅子はふわりと桜色
青楓机の便箋白きまま
豆飯に言葉弾みし夕餉かな
2016年           
背伸びして風のにほひを嗅ぐ土筆
シクラメン出窓のカウベル異国より
近づける惜別の時花筏
指させば岐阜蝶ひらりと空を舞ふ
鶯餅手焼きの皿に葉を添へて
菖蒲湯に大人も入りて魂洗ふ
薔薇の芽の弾けてをりぬ野に街に
波揺れて朝陽蜃気楼のごとし
誕生の祝い茶碗や鯉のぼり
友が来て茶碗揃わぬ初夏の宴
2015年
花冷えの握手の別れ永遠となり
飛び立ちて囀だけが残りをり
舌鼓打つとはここぞ春の膳
一瞬の彩りゆれる柳の芽
金雀枝や池の向こうに古家あり
母の日の母にも子にも旨き飯
いにしえの青葉薫るや天下峰
2014年
啓蟄の大地静かに時満てり
寒明けのゆるむ間もなく風尖る
菜の花の黄これほどに野にありて
京水菜白き器に色添へて
清流の果てに山吹咲きにけり
山吹や岩間に咲きて水青し
山吹や出会いし人に道尋ね
桜餅旨き大和の茶に添へて
あいづちを忘れて見やる山つつじ
染め上げし色の不思議や山笑ふ
言葉なき墓石に止まぬ五月雨
万緑の動かぬままに大樹立つ
2013年
鳥風の流れゆく先母の国
供花持ちてゆるりと歩く彼岸かな
風船やまだ膨らまぬ夢の色
風船や渡せぬままのラブレター
桃の花めおと土雛寄り添へり
黄昏にななつ数へる紙風船
遊ぶなら空は広いと舞雲雀
大切なこと思ひ出す風車
裏庭に誰か忘れし風車
ため息のこぼれる先を燕飛ぶ
十薬は仄かに白を誇りをり
玉葱の目に沁むことよ恋破る
竹の根のどこまであるや天仰ぐ
2012年〜2008年
鶯のケキョ鳴きてをり母想ふ
きゅきゅきゅと床のなる寺梅見ごろ
大津波いくつもの春呑み込めり
崩れ去る町に人なく春の雪
留まりて若葉迎へる花ひとつ
岩陰に一輪咲くは菫かな
ひと足を踏みしめ出会ふ菫かな
つきたての草餅うまし東大寺
遠山の陽射しも風も春の色
もの思ふ我も凡人涅槃絵図
手を打ちて愛でる小さき桜かな
花衣纏ひし時のかけめぐる
たんぽぽの花束ほどの笑顔かな
たんぽぽを握りしめたる小さき手
曇天に吟行流れ春惜しむ
芍薬の蕾色づくみとせ待ち
しょうぶの湯五右衛門ぶろでありにけり
恋しきは新茶の香旅の空
空にいてアルプス見下ろす聖五月
旅立ちの朝に出会ひし桐の花
ポピー咲く丘には今も石の家

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