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風の章

風の章

風をいつかつかまえることができるだろうか?
私は宮崎駿の世界が好きだけれど、「風の谷の
ナウシカ」を何度もみていて、この人も風が好き
なんだろうなー、空を自由に飛ぶことができる風
をつかまえて生きている人なんだろうなーと思っ
てきた。風の映像はむつかしい。いつか風を感じ
る俳句を詠んで写真で表現したいものだと思う。

ギャラリー

2018年9月〜11月

盆の朝ふるさと無人駅に立つ
風の道照らすがごとき尾花かな
萩の花迫りくる雨知らず咲く
どら猫を照らす今宵の名月や
渡り鳥道無き空を嘆かざり
木の葉散る肩に一枚手のごとし
地平線風が流るる麦畑
宵闇に語り部の声高まりぬ
煙立つ村に寄りそふ秋の山
虹かかる異国に立ちて我思ふ
闇抱きて蛍袋の白さかな
包丁のリズム軽やか今朝の秋
林檎煮るフランスの鍋取り出して

2017年9月〜11月

秋風や風をつかまへ琴流る
秋の朝シルエットのごと二羽の鳥
おしどりや並びて前を見つめをり
蝋燭を灯しジャズ聞く夜半の秋
新蕎麦や一人旅して舌づつみ
雨合羽着てでも挑む栗拾い

2016年9月〜11月


門あけて風の声聞く今朝の秋
露草や闇の深きに藍重ね
秋染めていつしか果てぬ水たまり
夢ひとつ花野に置きて遊びをり
村芝居過ぎ去りし時動き出す
待ち人は来るか来ないか柿落葉
柿落葉虫食い透かし見る世界
遠ざかる若き日々ゆく鰯雲
倉敷の白壁染める蔦紅葉
柿落葉鯉悠然と泳ぎをり

2015年〜2008年

草むらの闇広げゆく虫の声
月見するこの家を終の住処とし
竜胆の活けるを拒み直ぐと立つ
葉生姜の笊よりいでし露店かな
脇役と言えど光りし紅生姜
家の灯を待ちわび歩く夜寒かな
散り行くをとどめんと描く冬紅葉
冬紅葉柿渋染めの手を休め
モノクロの笑顔変わらぬ七五三
小春日に父思ひだす古時計
夕月や闇開かれし天も地も
いとど跳ね時は昭和へ遡る
名月や今宵おおぞら従へり
乱れ萩心の枷のなきままに
竜胆を活けて整ふ時空かな
留まりし定めにゆれる案山子かな
君と会ふ檸檬ゆっくり空に投げ
ブルマーの少女ざわめく運動会
夜神楽や舞ぼくとつに笛はやる
芋煮会振舞酒の旨きかな
鰯雲始発見送る橋の上
楠は幾としここに月出づる
いくたびも生まれ出づるや秋の雲
出窓より外界恋ふる冬の猫
颱風や天にも地にも我を通す
こおろぎのつと鳴き止むや書を閉じる
炎天に人の消えたる街歩く
秋雨や鹿の瞳のますぐなる
無縁仏すすきの原に気配なく
家康のからくり時計秋に舞ふ
薄紅や内堀に今水はなく
神橋を渡りて城へ秋高し

ゆう胡吟
2021年9月〜11月
源流を訪ね深山の朝の露
猫の目もまぎれて闇に蛍草
窯あけの父の背熱し鳳仙花
茶立虫虎の目光る屏風かな
母形見敬老の日の祝ひ金
この道を歩き続けて秋深し
ひとことを秘めて花野は夕暮るる
おはようのさざなみ秋の田は揺れて
飛行機雲空に消えゆく大花野
猫バスに乗りて公園小春の日
母馬へ冬空駆けて丘駆けて

2020年9月〜11月
言の葉を焚きて炎は月までも
時雨忌の三千院に千の色
石段の一歩一歩の秋季かな
覚悟することの多くて枯蟷螂
流星を待ちて彼方の時のなか
朝霧や山の端流る息のごと
星の名をまたひとつ知る秋の夜
鰯雲空いかほどの広さかな
朝霧を吐きて山並み安らげり
ビル谷間霧は怒涛のごと渡る
藍染の三河木綿や秋の海
まだ書けぬ便りもありて秋の暮
懐かしき海に鳶舞ふ天高く

2019年9月〜11月
赤とんぼ光の中にいろはにほ
秋の虹つかむわがてにあき残し
岩村の石垣高く返り花
大空へ赤き風船刈田原
祈祷台十色に染まる秋日かな
草笛を追ふていづこへ秋茜
ヴェネチアングラスの時計秋日射す
鬼ぐるみ一打ごときでたじろがず
月夜茸ヤヌスのごとき裏表
針先の色なき風にひとりごち
雲の切れ待ちてひとりの良夜かな
石垣の揺れる秋草数しれず
石畳色のさみしく朴落葉
林檎剥く震えたる手に手を重ね
渓流へ落葉一秒空にあり
鰯雲悠然と空ねぐらとす



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ゆう胡